2016年12月7日水曜日

私のこれからの人生は、【仏教的な事】と【哲学】を両立させて考えていこうと思います。
  っといっても!本当としては、【仏教】も【哲学】も同じ事なんですけど、

日本の一般世間では、別物のされているだけなんです。
日本の一般世間では、普通【仏教】と聞けば【宗教】の一つとされ
【お寺,お坊さん,お葬式・・・】ナドのイメージ持ってる方が多いようです。


それと、『人間の正しい生き方の教え』の【哲学】だと思ってる方は、いないと思った方が良いと思います。

はじめ日本に【仏教】が(インド)で出来た頃その頃は、(インド)で【インド哲学】が
成り立っていましたので【お釈迦さま】がソノ神に念ずれば、何とかなるという哲学に反発し
【仏教】という新たな哲学のような教えが出来たのです。


それと、私のように、このような事を少しは、勉強している方なら、そのような皆の誤解がわかっている方もいるでしょうが!
でも、世間では、一般的に、わかっていなくて【神仏】に【祈れば】良い事あるカモ知れないと思ってるばかりですので、そのよに思うのも、仕方ない事なので、私としては、それなりこのままで考えていこうと思ってます。


っというのは、私は、このような考えでも【念じ方】によっては、生活が良くなる事もあるだろうと思ってるいるからです。
だから、今までのように皆が普通に思ってるままで良いから、
どのように【念じて】いけば良いのかを考え伝えてみようかと考えています。


それと、
私は、この間までは、このような、考え方は、していなくて、何を考えて生きていこうか悩んでいたぐらいだったのですが、ある方から、
「 他人にドウ思われようが、自分が、少しでも良いと思っていることがあれば、とにかく、やって深く考えて、行動してみたら・・・・ 」
と言われた事があったからなんです。

はじめに言われたときは、あまり気にしてませんでしたが、
後になってから、考え方が変わってしまったのです。
それは、私は、【宗教系】の事を考えるのが好きだから、今後も、ずっと考えていこうと思ったからなんです。


普段でも家で自分一人の時とかで要る時なんかでは、【宗教系】に関する書籍を読んだり勉強みたいな事をしたりしていますので
しかし、普段の生活では、なるべく、そのような事をしているのは、他人には、言わないようにしているんのです。


っというのは、世間では、【宗教】と聞けば、少し変わった方が、してるものみたいし心の陰気な方がするもので(お年寄り)がしてる方が一般的に思われているので私は、そんな事をやってると知られたら皆から変人と思われると嫌なので他人には、あまり、言わないようにしています。
  だから、この前までは、このような事は、しない方が 良いだろうカナとも悩んでいたのです。

でも、あらためて考えてみて自分では、今している事は、一番好きな事とわかった事で他人に、どう思われようが関係ないと思ったのです。
それと、このような事をやっていれば、いつの日か満足できる日が必ず来ると勝手に思ったからでもあるのです。 
ベツニ!来なくても自分は、好きでやってるから来なくても良いと思ったのです。


それと!書籍ナド読んでいて少しでも知ったら満足でウキウキと気持ちが嬉しくなってくる事があるから、今後もやっていこうと思ったのです。
これこそが!人間にとっての一番好きな事をやる事で人間として正しい生き方を考える事で私は、【哲学】みたいな事と思っているのです。


だいたい!【インドの仏教】とは、【哲学】なのに、【日本の仏教】には、【哲学】が無くなって【宗教】じみたのは、ナゼかと考えてみたくなったのもあるのです。
外国から日本に、はじめて来た時に、【祈る】と良い事があると勝手に決められたので、
それは、その頃の日本には、【祈る】習慣があったからもあったので、外国から流れてきた時に【仏教】も祈る事で【神さま】と同じように【祈る】と救われるカモと決められたのです。


 それというのも、【哲学】のような難しそうな事より【念じる】事の方が簡単で良いと思ったので、
【念じる】事が、大いにモリあがってきて【哲学】の方は、忘れ去られていったと思います。

そのように!日本の大昔の考えは、他から取り入れていくものは、何でも全く同じものにしないようになっていたのでこの【仏教】も少し変えていくようになったので難しそうな事は、取り入れない方が受け入れやすいと思ったのか【哲学系】は、内容に勝手に決められたようです。

っというふうに、インドで出来た【仏教】とは、モトモト!(人間の正しい生き方の教え)などの【哲学】のようなものとして出来たのに、
その【仏教をあみ出したお釈迦さま】が亡くなってから後になって(宗教みたい)になってしまったのです。
っという事で、【仏教】をつくったインドの【お釈迦さま】は、【神さまを念じたりしなくても良くなれるんだ!】という事で【仏教】をつくったのです。


それこそが、【哲学】のような、人間としての正しい生き方の教えなのです。
なのに!日本では、【仏教】も【神さま】も同じみたいに考え  (  それを【仏さま】とも言ったりもしてますが!  )
今じゃ!ホトンドの方が【神さま】も【仏さま】も同じように【祈れば救ってくれる】カモと思われています。
とにかく日本は、【仏教】を【宗教】のような教えと同じものにしたので今でも、そのように考えられてます。


      その【念じる】に関してですが、まだ!日本では、大事な事というのがあります。
それは、【ご先祖さま】の【お墓参り】です。それも、外国の中国から流れて来たものです。
つまり!【日本仏教】には、亡くなった方、死人の供養をするのは、もっとも大事な事になりました。

その亡くなった方を供養する【お葬式】の役目を担当 しているのがダイタイが【仏教】を主にしている【お坊さん】です。
日本には、沢山の宗派の違いによっては、【お葬式】もしない家族や【お墓】じたいも、必要無い家族もあります。
私は、それに関しては、供養を大事にする家族で育ってきたので、その事の反対の意見になります。
っという事で世間では、日本のだいたいの方が、【仏教】と聞けば【お葬式】や【お坊さん】と思い浮かべると思います。


それは、【葬式仏教】と言われがあるように、
つまり【日本仏教】を一番に担当している方と思われているのは、【お坊さん】ですが

けど゙!【日本仏教】じゃなくて【本当のインドの仏教】では、死人の供養する【お葬式】などは、無駄な事になります。

インドでは、亡くなればタダ!のゴミと同じで、どこかに捨てたり川に流してしまったりします。
【お釈迦さま】ジタイが言っていた事は、 
「 そんな死人の供養ナドしてる間があれば、正しく生きる修行してなさい! 」  と厳しく言っていました。


しかし!私としては、【仏教】は、たいへん好きなんですが、そのようなところの【仏教】に関しては、嫌いなんです。
でも!私は、日本で育ってきたので、【ご先祖さま】を供養している【日本仏教】は、すごく好きなんです。
っというのは、今でもですが、私は、世間一般の方と比べてですが、【お墓参り】とかには、よく行ったりしてます。


それは、関係ないカモ知りませんが!私は、前に死んでも、おかしくない事故を何度か、おこしてますので、
今生きているのは、【ご先祖さま】の見守りだと勝手に思っているからなんです。
っというか!人間として【ご先祖さま】を供養するのは、絶対当たり前の事だと私は、思ってます。
だって!【ご先祖さま】がいなければ、私は、この世に産まれてこなっかたので、お礼するのは、当たり前の義務のように思っているからです。

それと!
こういった 【仏教】みたいな事を好きになる前は、私は、音楽が好きだったのです。ソレモ!(ロック)です。


その(ロック)の中でも、一般世間では、良く思われない不良なゴミあつかいされてる(パンクロック)というジャンルをしていました。

その頃の私は、ライブをやったり自由きままに楽しい日々を過ごしていました。
もともと!私がこのような音楽が好きになったのは、はじめっから(ロック)なようなのでなくテレビでよく見るアイドルや歌謡曲からでした。


その頃からの夢で将来は、歌手になって音楽で一生やっていくつもりだったのです。

そして、そんな夢を持ちつつ中学になり、兄の影響もあるのですが外国のカッコイイ!ロックバンドを聞いたりエレキギターでコピーをしたり するようになりました。
一番影響を受けたのが兄は、その頃、ロックバンドを組みはじめていたのです。
だから!それを見ていた私も、ロックバンドを組み皆からカッコヨク見られたいと思っていたのです。
でも!私は、ロックバンドを組むどころか遊ぶ事に熱中してましたので、家で、いつも聞くダケぐらいでした。(遊びながらです。)
    
 が!高校になって念願だった。ロックバンドを組む事ができました。
でも!そのバンドでは、タダ!のアマチュアバンドのコピーバンドにすぎないので、私としても適当に遊びながらやっていました。
     しばらくして、高校生活最後の文化祭の日がきまして、新たのメンバーとバンドを組みました。
そのメンバーでは、楽しくてシンケンにハ ゙ンド活動ができました。学校以外でもライブやるようなワリと楽しかったです。
でも、それも高校生活の楽しい思い出で終わり。メンバーは、生活していくための、それぞれの道に進んでいきました。
私としても夢は、夢なのかなぁ!と少し思ってきたので、生活していくためにも一般的な仕事を仕方なく付く事に決めました。


それでも!聞くのだけは、今でも、以前ほどじゃないですが聞くのだけは、変わりません。
何度も聞くのも、やめよとしましたが、身体がロックが好きだった事がシミツイテいかるかで
今だにスグ受け入れてロックのライブとかには、行ったりしてしまったりしています。  本当は、良くないカナァ?とは思ったりしています。

       そして!しばらくしたら私は、車での事故でなくバイクでの事故をおこしてしまいました。
当然ですが、その頃にしていた仕事は、やめてしまい、フリター生活になり、ワリと自由な生活になりました。
        だから!当然前のように夢であったロックな生活に戻りました。

そして!しばらくして私は、考えました。
 『 このままでいても、ただ!のハジケタ小僧で終わるダケだなぁ~。
           それで終わりでなくて、芸能界にでも入ってみて
                        一発あててみて皆を驚かせてやろう!』
と思って、コレで皆とは、遊ぶのは、最後だろうと、ある日に皆と酒を飲むタメに夜集めました。
              ソレが私の人生の転換期です。

つまり!これでロック生活の終わりです。
トリアエズ!一店目は、終わりましたが、マダ!遊びたりなかったのか?次の店に車で移動したようです?
私ダケが大事故をおこしてしまったのです。私は、ソノ時の事は、全く記憶ありません。


運転は、私は、してなかったようです。目が覚めたらベットの上でした。

そこで!運が悪いのか悪くないのか疑問なんですが、
それは、死んでも、おかしくないように医者から言われてたし何度か心臓も止まったようなんです。
だから、私としては、そんな奇跡的な事があろうが、以前までの楽しい日々が
無くなったので死んでいても良かったカナァ!と思ったりします。 


 
それから!入院生活が一年半ほど続きました。初めの頃は、何度も死にたいと思っていました。
  が!  自分から自殺とかするなんて怖くて出来ません。
だから!はやく元通りになって復活してやると入院中のリハビリは、すごく頑張っていました。
それだけが、今の私の楽しみだと思っていたのです。
       が!   
その頑張りも衰えてきたのです。っというのは、障害者の認定を受けたからなんです。
でも!障害者になったところでも、何とか、それなりに楽しくやっていけるだろうと思っていました。
だから、いつかは、退院するのだろうから適当に普通に入院生活をおくっていたのです。

でも!いくら普通にしてても普通になれない事があるのですが。
それは、私にとって、今でも一番ショック!な事と思ってる事なんですが、それは、【言語障害】になったしまった事なんです。


 つまり!今でも後悔は、しているように私の夢だった歌ったりしていく事が出来なく無くなってしまった事です。
少しは、はじめの頃と比べれば、良くは、なってますが、完全に治る事は、ありません。

でも!こんな事で、オチブレテ!終わって死んでしまうのも、情けないし、だから!退院したら、
普通に歩けるぐらいは、なろうと考えまして、ソレからの入院生活では、時間の暇が出来る時は、
病院内をウロウロと一人で歩く練習をしていました。


そんな入院生活をしていると、いろいろな患者と出会います。中には、私なんかより、
ぜんぜん元気そうな、どこが病人なんだと思う方や全く歩けない方も見てきました。
で、そこで思ったのですが、出会うほとんどの方は、自分の身体が良くなるように【お守り】とかに念じています。
私としては、ソウ思うのもわかるのですが、そんな甘い考え方では、駄目だ!
私のように、歩く練習したり強く生きていかないと駄目だ!と思っていました。 

 そこで、ある日、フト考えて思ったのですが。
    ( 私のように、歩く練習しようと思っても、ゼンゼン動く元気もない方やベットから
       離れない方もいるのに私は、自分を強い人間と、イキガッテ!他の方を弱い人間と思っているし
              本当に弱くてバカな人間は、私なんじゃなカナ?)  と思いました。

   で、 ソレからの日々は、いつでもコノ事が脳に浮かぶようになってしまったのです。
そして!私の退院が近づいてきました。 が、ある日、母が来た時に誰に聞いたのか?
母までが、何かの宗教の【神さまに念じている】事をしていたのです。
私としては、
『 アホか!そんな 甘えた事しやがって!・・・・・』 と思っていました。

けど!よく考えてみたら、ソレって私の哀れな姿を思ってした事もあるようなのです。アホなのは、私だなぁと反省しました。
で! 退院しても、時間は、ある事だし、私は、その宗教の練成とやらを10日間受けてみるかと決めてしまったのです。
っというのは、良くは、ならないだろうけど、少しでも良くなれば、ラッキーだし、
こんなの駄目だと母に、わからせるのも良いだろうと思ったからなんです。

でも!その後の事を考えてみると、今の私があるのは、その宗教に嫌々でも関わりを持ったからと思います。
しかし!その宗教団体とは、縁は、切れたのですが、デモ!今では、私の母よりも、
イロイロな資料とかを読みあさったりするようになったので【神さま】に関する【宗教】みたいな事の知識は、
私の方があるのは、確かになりました。

でも!問題があります。私自身は、問題に思っていませんが一部の一般世間では、問題にしています。
それは、私の家は、【仏教徒】なので、本当は、【神さま】に関する事を勉強していくベキじゃありません。

っといのは、私の家には【仏壇】があって、タマにお坊さんも来てもらってます。
それに!私の子供の頃は、【仏教系】の幼稚園にも通ってましたので、【神さま】の勉強は、するのは、おかしい事なんです。
っといっても!子供の頃は、アマリ!深く考えてなかったし、【仏教】も【神道】も同じみたいに考えてました。
私の家の近くには、【神さま】を祀る神社もあったし、よく遊びに行っては、手を合わせて念じていたりもしていました。

それと!後になって思ったのですが、私の行った10日間の練成は、【神さま】の【宗教団体】の集まりの場だし、
行くべきじゃなかったかな?と思っています。
けど私としては、行ったから、今の私があるので、行って良かったと思っています。

その後の私は、問題かなぁと思った事もあったので【神さまの信仰】に関することは、控えて主に
【仏教】に関する資料とかを読みあさっていきましたがでも!私も日本人だし日本は、【神の信仰】の成り立ってる国なんだし、【仏教】だけを勉強し【神さまの信仰】を無視する事は、私には、できませんので、今では、【仏教】も【神道】も同じぐらい学んでいってます。

っというより!私は、そのような【宗教 】みたいなものは、何でも好きで勉強していってます。

一番に好きなのは、ヤッパリ!【仏教】になりますが、それは、一番多く勉強してきてるし一番知識があると思ってるからです。
で、次が【神道】です。後は、イロイロで【占いも風水も儒教も道教もスピリチュアル系も・・・・・・・・・・・】も何でも
【宗教】に関する事なら何でも好きなんです。

それと!言い忘れましたが、【密教】も好きです。
っていのは、私のしている事は、【神さま】も【仏さま】も信仰しているので、
【密教】そのものと思われるようですが、私は、違うと思ってます。


私の家の宗派が違うのでアマリ!よくは、言えませんが【密教】は、【お釈迦さま】の教えの【仏教】では、ありません。
【仏教】は、【お釈迦さん】が亡くなった後イロイロと変わった教えになってるように、
【密教】も、ソノ変化してきている中のものの1つと私は、思ってます。


つまり!私は、【お釈迦さま】が生きていた頃にしていた
『人間らしく生きていくには、どのようにしていったら良いのだろうか?』と
【哲学】と言えるような事を考えて勉強していってます。


そこには、【お釈迦さま】が【神さまの信仰】や【ご先祖様を供養する事】を反発していて
造ったインドの本当の【仏教】でなく私としては、
日本でマネしてつくられた【日本仏教】を主体として考えていってます。


っというのは、それぞれの【宗教】の基本でもあるように
生きていくのに困難な方を見捨てない事と
少しでも世話になった方に(お礼の気持ち)を込め(恩返し)は絶対という事と
何にしろ【祈る】いう事で願いは、叶うカモというのを心していこうと思います。


それは、科学的な研究でも考えられたように、自分の幸せになるタメに念ずるのでなく
他人の事を念ずる事とある【念じ方】によっては、その念じた事が叶う事もある
という事を心にしていこうと思います。

             【 以上 】

2013年2月22日金曜日

【正信偈 内容 無料レポート】出す予定してます。


親鸞 聖人が残してくれた【正信偈】の内容を全ての方に

知っていてもらいたい一心で、誰もが解りやすくと

なるべくカンタンにあらわしてみました。

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1,はてしない如来に、命を帰命する。

2,不可思議な光に南無したてまつる。

3,如来が法蔵菩薩との名で修行の時

4,世自在王仏のみもとにて

5,仏の浄土な国すべてを見て

6,人間と天人の善と悪を見きわた上に

7,この上なく勝れた願を建てられた

8,そしてすべての前で誓いをおこされました

9,五劫もの長い間、考えぬかれました 

10,重ねて誓う名号が十方に聞こえますようにと

11,皆すべてに、いいました無量無辺の光  

12,何者にも、さまたげられない、 炎のような光

13,清らかで喜ばしき智慧の働きをする光

14,思いや言葉では、称えつくせなき光

15,太陽や月を超える光でいつも照らし続けてくれる。

16,すべての衆生は、この光に照らされている。

17,本願の名号は、間違いなく浄土 定まる業。

18,まごころの信心の願いが本当の因である。

19,幸福が定まり、覚りの大きな涅槃をひらく

20,願いが成就され必ず至ることが決まる

21,釈迦が、この世に、お出ましになったのは、

22,ただ阿弥陀如来の本願をお説きになるためだった。

23,五濁で悪時な、この世でも

24,釈迦の、まことな言葉を信じるべし。

25,一たびの信心で喜びのとき

26,煩悩を断ぜずして涅槃を得ることができる。

27,凡夫も聖者もどのような悪人でさえも、みなココに入れば

28,水が海に入って一味になるのと同じように

29,常に照らしおさめ取ってくださっている。

30,すでに無明の闇をこわすといえども

31,貪欲,愛欲,瞋恚,憎しみ,の心は雲や霧のように

32,常に真実の上を覆いかぶさっている

33,たとえ日光が雲や霧に覆いかぶさっていようが

34,雲や霧の下は、明るく闇なきが如し

35,信心を獲て大きに喜べば、

36,五悪趣のいわれる迷いの世界を飛び越えられる

37,善人も悪人も一切の人々は、

38,この如来の本願を聞き信じていれば

39,仏は、すぐれた知恵を得た者だと言い、

40,この人を蓮の華の人のようだと名ずく。

41,弥陀の本願による念仏は、

42,あやまった考えや、おごりたかぶる人々は

43,ただ信じるだけでは、はなはだ難しい。

44,難の中の難で、これ以上に過ぎたるは無し。

45,西の方のインドのろんげ がたと

46,中国と日本の高僧がたは、

47,釈迦が、この世に出られ本意をあらわした

48,如来の本誓は、我らのためだと明らかにされた

49,釈迦は、楞伽山で、仰せになられた。

50,衆のタメ告げられてる南インドのある地域に

51,龍樹大士というおかたが世に出られて

52,有無の見をことごとく打ち破ります

53この上もない大乗を説いてくれます。

54,歓喜地の位に至り安楽の浄土に往生するのだと

55,難行の陸路は、苦しいとあらわされ

56,易行の水道は、楽しいばかりだと

57,弥陀の本願をおもいつづけるならば

58,おのずからただちに必定(ひつじょう)する

59,だから常に如来の号を称えて

60,大いなる慈悲のご恩に報いることと

61,天親菩薩は論を造りて説いている

62,無碍光如来に帰命したてまつると

63,経典の修多羅によって真実をあらわし

64,おうちょうのすぐれた誓願を説いた

65,この本願力の回向によって

66,すべての者が救われると一心にあらわした

67,このくどくの大いなる宝の海に入れば

68,必ず、そこに入っているのと同じことです。

69,ここの浄土な世界に、生まれれば

70,ただちに真理を身につけた者になる。

71,この煩悩の迷いの林で神通力を現し

72,この迷い世界に入っていても救われると示した

73,曇鸞大師、りょうの国王にも尊敬されてた

74,常に大師のいる処に向き菩薩と礼拝されてた

75,インドの三蔵に浄土の経典を授けられた。

76,その後仙人の経を焼き捨て浄土の教えに帰入した。

77,天親菩薩の論を註解し、みずからも論を書いた。

78,報土の因も果も警願なりとあらわしたまう

79,往相も環相も他力の回向に、よるとした

80,正しい生き方は、ただ信心のみである。

81,まどいそまった凡人でも信心さえあれば

82,生死の迷いのままでも涅槃を証知する

83,必ず無量光明な浄土に至れば

84,すべての人々みな救うといわれた。

85,道綽は聖道では、あかしがたき事を決し

86,ただ浄土を通入するべき事を明かし

87,いくらかの自力の修する事をしりぞけられ

88,いつでも名号もっぱら称える事を進められた。

89,三つの信心と信心でないものをしめされた。

90,像法も末法も悲願は同じです。

91,一生涯 悪をつくりつづけても、本願を信じていれば

92,安養界にいくしスベテの悟りを開くと、いわれた

93,●善導一人、仏の正意を明らかにされた

94,善人も悪人も共にあわれみて

95,光明と名号が因となり縁という事をあらわした。

96,本願の大いな智慧の梅に入れば

97,金剛のような正しいの心を受けた行者は

98,このうえない喜びに相応する

99,いだいけ夫人と等しい三忍の徳を得て

100,そく常楽な幸福な生活がおくれると言われた。

101,我が国の源信は、釈迦一代教を広く開かれた。

102,ひとえに安養にきして、すべてのものが勧む

103,もっぱら深い心と浅い心があるとした

104,報土と化土の2つに示された。

105,極重の悪人でも、ただ【 念仏 】を称えなさいと

106,我も今は、弥陀に収めとられているところですが

107,煩悩の目がさえぎられても、見たてる事はない

108,弥陀の大悲は、常に我を照らしてくれている。

109,本師,源空は、仏教を明らかにしてくれました。

110,善人も悪人も、すべての凡夫を哀れみて

111,真宗の教えを、我が国に興し

112,選択本願を悪世のこの世に、ひろめられた

113,生死の迷いから、ぬけれず、いるのは、

114,本願を疑いはかっているからである

115,すみやかに、静けさの浄土に入るには、

116,必ず信心をもつことであると述べられた

117,弘経の大士、祖師がたは、

118,すべての極獨(ごくじょく)の悪人をも救う

119,出家の人も在家の人もすべて共の同じく

120,ただこの高僧がたの教えを信じるべし
                   ●

2012年6月1日金曜日

私の今の生活は、少し変わった活動です。

っていうのは、 前にも、いいましたが
『 私は、皆がお金には、不自由の絶対しないように
   誰もが、カンタンにパソコンのインターネットで、自由に稼げるようにします。』
と、誓いの言葉を、述べました。            
                          ダカラ!
以前のように、毎日のサイトの交信は、できなくなりました。
           それは、
毎日、朝目覚めてから夜寝るまで、
ズット!パソコンで、何とか誰もがカンタンに稼げるようにと、考え込んでます。
ので 前のように、交信してる間がありません。
(っていうのは、その時間が、モッタイないからです。)   
         っていっても、
全く、しなくなった。ワケじゃありません。
決まっては、いませんが、たまに、するようにしています。
           ソレニ!
誓いが、発表できるように、なれば、 毎日、交信できるように、
なれるので、 いつも、その事ばかり思いながらネット活動しています。                                   
                           それと、
日本人には、家に伝わる【宗派】ってモノがあり、
中でも、【お釈迦さまの仏教】を、そのまま伝えてくれてる
                   【浄土真宗】ってモノがあり、  
             私の家の宗派は【浄土真宗】です。

           なので、
毎日の、【おつとめ念仏】は、かかせませんし。
【正信偈】のバラまきは、かかせません。      
     ( 以上 )   
例えば = モバイル 正信偈 クラブ
               浄土真宗おつとめブログ

2012年2月29日水曜日

★私の現在は、インターネット と 仏法で活動中です。

っというのは、

今までのように、【布教活動】だけでは、

皆から、バカに、されるバカリで

          デモ!

私としては、そんな事を気にせず、【布教】しつづけていってたのですが

           それは

自分だけの、満足な行動だと思いまして、「 これじゃ~いけないなぁ~ 」と思って

           そこで考えついたのが

私のしている生活も、そのまま伝えていこうと思いました。

              っていうのは、

タダ!今までの【布教】だけでは、皆から共感は、得れないと思い、
ヤハリ!世間の人が、共感持つとしたら、【お金を稼ぐ】事だろうと思いましたので、

私は、カナリ少しなんですが、このように沢山のサイトをつくる(ネットビジネス)事で、お金を稼いでいますので、【仏法】にも楽しめる事もあるという事を伝えていく事にしました。

 ココでは、今日は、2つダケ記しておきます。

メルマガ = 人生はネット仏法 情念クラブ

アメブロ = 人生ネット心理 情念クラブ

2012年1月23日月曜日

人間は【悪】なのか???????

つまり
【悪】も【善】も、我々、人間が勝手に、つくったダケの事で
本当は、そんな【モノを測る】みたいな事は、いらなかったのです。

っというフウに、
仏さまの世界には、
人と人やらをクラベルような
(モノサシ)などは、ありません。

ダカラ!
【悪】と言うなら、そうだろう し
【違う】というなら、【違う】のです。

っといったら、アマリにも【無責任】だと言いますよネ!

っという事だしジャー!【人間は悪人です。】

っていっときます。

っていう事だから
        マズ!
人間に一番大事なトコロの食事の事カラいきますが
        ダッテ!
食べないと生きれないので
        デモ!
それは、動,植物の生命を【ウバッテ】いる。
【悪人】とも、とれます。

       でも!
ソレは【違う!】と言う人も沢山います。
そりゃ~でないと生きれないからです。

       だから!
(まとめ)として,いいますが

人生には、【悪】でも【仕方ない】事があるものなんです。

       要は
【悪】も【善】も、我々が決めてる事なので
この人生は( この地球で生きてる間 )

生きてる間は【悪】でも【仕方ない】事ばかりなので、
時代の流れるママに【仕方なく】生きて、
【嫌】でも皆と仲良く、争いないよう
【仕方なく】生きていくのが、人間の正しい生き方なんです。

2011年9月28日水曜日

いちよう言っておきますが。ここでの念仏サイトは、今回で終わります。

っていう事で、
新たに作り変わります


っていうのは、
ある仏教団体に、だまされたので(その前に少しの間交信ぬけましてスイマセン。)
っていうのが今の世間です。昔でも今でも変わってませんが

っていうのは、自分では、頑張って生きてるし
何も悪い事は、ゼンゼンっと誰もが思ってます。

要するに
自分では、悪い人間とは、思いません。

真実の人間としては、他人に苦しめる事など
できないハズなんですが

今の世間では、
『それは、イケナイって事は、わかっていても
実際のトコロ、自分は(ヒッシで頑張っている)だけで
相手の人の気持ちは、わかっていません。』
 
今じゃ
それが、当たり前の世の中になってて
そんな事は
【悪】とは、言わず
タダの『偶然に、そうなった』とされています。

っという事で
だまされるのは、自分がわるいだけで
だまされないように、気をつけるのが、
今の世の中です。

っという事で、私も
自分が変わるしか無いので
新たに、このサイトも変える事にしました。

2011年9月8日木曜日

人生の真実見学に行く。?

この人生の【幸福な生活】の考え方は
自分だけの【幸福生活】を望んでいると
【必ず】に【不幸】な人生をおくる事が
【確実】って事なのです。


って事なんですが
今の世間では、ほとんどの人は
【そんな事は思えません。】です。

確かに、それも【わかる】のですが

だって
『自分も【幸せ】にできないのに他を【幸せ】にできるか!』
っと思う社会になってますので。
だから
『まず自分からです。』

でも、そこが【問題】になってるのです。

っていうか【仏縁】のない者ダケが
【問題】にしています。

私たち【念仏者】は、
【阿弥陀さん】に、【まかさして】もらっていますので
自分が【幸福】なのは【当然】なので


だって
【阿弥陀さん】は
『皆の【絶対幸福】の【誓い】をたてた』のであるから


かといっても
自分の事は【ゼンゼン】
ってワケじゃなく


自分も【人間として正しく生きながら他人の事も】考えていくのです。
それが【人間としての真実】なのです。


もっともっと他人の幸せを考えて